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2010年06月23日

65年。慰霊の日。


こんばんは。
今日、最後の更新です。


やっぱりね。
この日だし、抜きにしては終われなくてですね。




今日は実家に甥っ子達を送って、
僕ぁ晩ご飯を頂きながら、
TVの特集を見ていました。

戦争が終わって、今年で65年なんだそうです。


~でね。
今は天国で暮らしている、オバァの話しになりました。



伯母さん
『お母さん(オバァ)は、
私たちを連れて、畑の真ん中の道を
とにかく必死で走っていたんだよ。』




オバァは、母一人で5人の子供たちを抱えて、
その頃、まだ幼かった僕の母親を抱っこして。




『あそこまで走りなさい!!』



駆けて行く上空には戦闘機。
銃弾が地上で跳ねる音が続いたんだそうです。




防空壕の中は、
凄い人の数でさ。



=======



今日の沖縄は、にわか雨こそ降りましたが、
雲の切れ間から見える空は、とても青くてね。




子供たちは、元気に遊んでいてね。
美味しいご飯も、たくさん食べられてね。



元気に生かされていてね。






でも、
この島で、とても哀しい事があった事、
人が人を殺め合ういう事が行われていたという事は、
風化させちゃいけないよな。



=======


糸満市にある、摩文仁が丘には、
たくさんの人たちの名前が刻まれている、
"平和の礎(いしじ)"があります。

沖縄県民だけでなく、
日本国民だけでなく、海外の人達の名前の多さには、
驚かされます。


僕の親戚のおじさんの名前も、
そこに刻まれています。




今度、落ち着いた日に、
かーちゃんと伯母さんと伯父さん、
オバァの子供たちを連れて、
そこに行こうか。

手を合わせに行こうか。









65年。慰霊の日。
オバァの事を思い出しながら、そんな話題になった、
今年の慰霊の日でした。



オバァがよく口ずさんでいた曲ですが、
「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」というタイトルです。







若い頃は、戦の世の中
家も、、親や兄弟も
艦砲射撃の的となってしまった

食べるものでさえ、
艦砲射撃の喰い残しを食べて生きた

あんたも わたしも、
艦砲射撃の喰い残し





やっぱり、
人が人を殺める事は、いかんです。
戦争は、いつの時代でも、どんな場所でも、
いかんですよ。



本当の意味での平和が、
やってきますように。



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Posted by つむぎのぱーぱー at 22:30│Comments(0)考え事
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